2018年8月30日木曜日

MIMの誕生と日本のMIMメーカー

 

1972年にDr. Raymond E. Wiech Jr.MIMを発明し、共同設立者(4名)としてカルフォルニアに『パーマテック社』を立ち上げ(1973年頃)、MIM量産技術を確立する。後に脱脂を加熱に変えた「ウイテック法(加熱脱脂)」を考えて独立(1981)する。(結局、創業者4名はライセンス分野を分け合って友好的に別々の道を歩み始める)
日本国内では・・・遅れること10年・・・
国内メーカーは独自でMIMの研究開発を開始する、そこに「パテント黒船襲来」ウイテックからの特許抵触のアナウンスに恐れ、かなりの国内企業がウイテック法に傾倒すると、ウイテックジャパンを設立する。そこで一手にフィードストックを販売していく。しかしその中で特許に抵触しない製法を持つ企業も存在する。さらに元祖であるパーマテック法を採用した日本企業も2社『M社(現在休眠中)J社』あった。この3つ流れが今も続いている。 追加20190911:N社のAMAX法を忘れていました。溶剤脱脂でパーマテック法の亜流です。


 というわけでこの3つの流れの中で日本MIMメーカーはどのように発展したのか


    元祖パーマテック法を採用した企業は、独自にフィードストックを開発
     溶媒脱脂であるため大物ができるようになる


    ウイテック法を採用した企業は、標準カタログのフィードストックを購入
     加熱脱脂であるため小物中心で、企業間の品質の差がほとんど無い


    独自製法の企業(国内最大メーカー)は、独自のフィードストックを開発
   (いろいろ発明あれど加熱脱脂が主流)トップを独走、業界を牽引していく

    


19801990年 (第一世代)鎖国的研究開発時代 各社独自に研究開発                     (今の3Dプリンターのようなインパクトがあったようだ)
        1988年~大学等の研究論文も発表され始める

19912000年  (第二世代)開国成長期 自力・他力でとにかく量産開始
        パーマテック、ウイテックの基本特許・技術契約切れる

        全く新しい工法出現。BASF法(触媒脱脂)など
                また、国内フィードストックメーカーも出現する
        一方、後半には、MIM廃業する企業が出始める
        1997年 MIM関係論文数ピーク22

2001
年~    (第三世代)自然淘汰・進化時代
        設備の老朽化と担当技術者定年に合わせるように撤退・統合
        技術的(Q,C,D)に優位性のある企業がさらに発展する
        スーパーアロイ(超合金)のMIM論文が発表される
 


2018年8月14日火曜日

PADSというMIM製法を勉強した

2011年の論文を読んだ。PADSは知らなかった。
Plasma Assisted Debinding and Sintering」
直訳すると「プラズマ・アシスト脱脂焼結法」
ブラジルのサンタカタリーナ連邦大学機械工学部の論文である。

とにかくすばらしい画期的な技術開発だ! 
感動したことをまとめると・・・

    2つの電極の間に生成するDC放電によるプラズマ環境の中でブラウンパーツを脱脂させること。画期的なことは脱脂したバインダをガスに変身させるところ。
   さらに連続して焼結まで行い その時間7時間。

    理屈は、プラズマ放電により炉内にパージさせた水素が水素原子になり、ブラウンパーツの高分子CxHyを低分子に分解し、CHの化学反応で、なんとメタン、エタン、プロパンのような低分子量のガスが生成されるそうだ。

    したがって、炉体内部および真空排気系が脱バインダーのドロドロで汚染されることが無い。

すごい技術である。 

この論文から7年すぎているが本技術を国内で見たことが無い。どうも特許出願しているようなので後8年間は待つ必要がありそうだ。  追加:1997年の開発 なので特許失効まで5年弱

ブラウンパーツとは、グリーンパーツ(成形体)を溶媒脱脂して低分子樹脂を抜いたもの。ちなみに焼結体はシルバーパーツ。

ノリタケの20年

  ノリタケが米国に受け入れられる白磁ディナーセットを完成させるまで20年を要した。白い生地を作るのに10年。形状のばらつきやゆがみのない皿を作るのに10年。それは「技能」から「技術」へ昇華させるために必要な期間だった。時は1914年、100年前だ。

 MIMの製造技術は、陶磁器のそれと酷似していると感じることがある。だからこそ「こんな場面」に遭遇すると負の感情が湧いてくる。それは、量産をしているMIM企業でも、「ノウハウだけで製造しているの?と悲しくなる現場」があるのだ。(具体的に申し上げられません・・)Know How」はもちろん重要だ。レシピ通りに作れば品質の高いものは作れる。しかし、応用が利かない、発展がない。ではどうすればよいのか・・・
理想は「Know Why」を獲得することだ。 ライト兄弟だけでは飛行機は発展しなかった、後の航空力学が確立されてジェット旅客機が誕生したのだ。

 「Know Why」は工学であり工業に必要なこだわりだ。 ただ、MIM業界に開示された「ノウホワイ」がほとんどない*1、「ノウハウ」も同様だ。微力ながらこの問題を解決すべく一肌を脱ぐつもりだ。東京オリンピックまでには何とかしましょう。
*1 Know Why は研究論文として開示されていますが、現場の人たちにとってわかりづらい、体系化されていないという意味です。


2018年8月2日木曜日

3Dプリンタの生かし方と可能性

3Dプリンタの生かし方と可能性
萩原先生(東京工業大学)の宮城県工業技術センターでの講演資料を読む
Feb.24.2015
【課題】
1.安価(40万円以下)な機械は精度が低い。使える機械は高価(数千万~1億円)。
2.CADスキルが必要
3.著作権、PL問題
【誰もが容易に部品を任意の材料で造れるようになるのか】
答え: ならない
・材料は限定的・精度が悪い・使えるものは機械が高価
【ものづくり産業の基盤に変化はあるか】
答え: 変化しない
・従来の高品質で安価・大量生産の分野には変化は起こらない
・個人活動を中心とした表現・デザイン・ファッションの分野に展開される
【私見】同感です
パーソナルな二次元プリンターが登場してたいへん便利になった。
しかし、写真をプリントしたり名刺を作っても 「品質はやっぱり良くない」。
結局プロショップに依頼している。 
それが 三次元になったということです。